静けさは遠くに至る
  ~なぜ胡炜は工筆画を描くのか

 

ほとんどの人々のにとって中国画といえば、真っ先に宣紙(中国画に用いる伝統的紙)の上に鮮やかに描かれた写意画を思い浮かべるだろう。比較的専門的な人であれば、他に絹、あや絹(りんず)、熟紙(ろうやばん沙で加工した紙)を用いた、いわゆる“中国画”の範疇に含まれる、非常に精巧に描かれた、別名“工筆画”あるいは“工筆重彩”も忘れはしないだろう。しかし、この事は恐らくごく少数の人だけが知っているであろうが、数においても社会的地位においても主流を占める上記に述べた写意式中国画が、実は中国画の発展の歴史においては全体の中の1つの枝分かれた部分にすぎないのである。
  写意式中国画は13世紀頃の文人階級が、自分たちの感情の発散媒介として、また詩をつくるような感覚で、言葉遊びの媒介として絵を描いたことが始まりである。しかしながら社会の文化の主役としての文人階級がいとも簡単に発言権を獲得し、もともと非功利的なただの暇つぶしの為の“文人画”が、あろうことか芸術の正統となったのである。長期にわたり専門の地位にいた画家達は、それに反して絵画界での隅にはじかれ、“絵画職人、労働者”などとあざ笑われ、彼らの作品も“独創性がなく、俗っぽい”と嘲笑された。これ以降、絵画に対して高貴と俗っぽさ、独創性の有無の差別化がされるようになった。
  じつは、仰韶文化の彩画から漢、唐時代の壁画までの五千年間、中国画はもともといわゆる“工筆重彩”であったことはあまり知られていない。ただ現代の工筆画と比べると材料と技法面での違いがあるが、美術史家のなかには、“岩彩画”と称す者もいる。残念なことに文化の歴史のさまざまな要因により、この種の最古の伝統的絵画方式が中国では次第に伝承が途絶え、日本でのみきちんと残され続け、更に日本では相変わらず主流の、重要な絵画形式となっているのである。中国人の中国画に対する認識は、“「細かいものにとらわれ、大きなものが見えない」現状であり、”文人画“のために中国画の全貌が妨げられてしまった。このようにして歴史は何百年と続いていき、20世紀初頭になり敦煌壁画が再発見されたことで、美術界の先覚者達は初めてにして最大の衝撃を受けたのである。この洞窟の中に、西暦四世紀から十四世紀までの約一千年あまりの中国人の視覚体験による歴史と絵画表現のすべての歴史が記録されていたからである。
传雷は彼の妻の甥にあてた手紙にこう記している。“それは我々に全く新しい世界を開かせてくれた。
  人物描写の技巧(精巧であるということではない!)、色彩の鮮やかさ、大胆さ、材料と構成の斬新さ、すべてにおいて唐、宋、元、明時代の正統派絵画の追随を許さないほどすばらしい。中華民族の外来文化の吸収に対する影響に関しての視点、興味など、自分の目で直接見て見なければとても形容できるものではない。“”更に面白いのは、時代が古くなるほどmodernになり(例えば北魏壁画など)、シンプルで純真な人物像は西洋の野獣派に近いものがある。唐の中期、全盛期時代の作品はまるでルネサンスのヴェニス派のようである。しかし、北宋以降色彩は暗くなり、線は細々とくどくなり、活気がなくつまらないものになった。元の時代になると、更に堕落の極みに達した。私は今興奮とともに、複雑な思いにかられている。“この重大な再発見が、美術界では意外なほど何の反響も呼んでいないとは!“私はかねてより传雷先生の卓越した芸術鑑賞レベルに敬服している。ゆえに、私は彼の結論的意見を確信を持ってここに述べたい。“中国美術史は、そのすべてを改めて書き直し、唐、宋、元、明時代の正統な絵画に対して、再度評価し直す必要がある。”

  上記に述べたような“中国画”に対する思索をまさにしていた頃、私は胡炜と出会った。この事は胡炜という青年芸術家を理解するのに非常に役立った。今日多くの中国画家が、制作にあまり時間をとられず、又売れ行きの良い流行の水墨写意様式であるのに、或いは皆が現代風に西洋の理念で中国伝統を解釈し、現代版の“水墨実験”に没頭しているときに、胡炜は何ゆえこの、冷遇された、手間のかかる“時代遅れの”古典形式である“工筆”を選んだのであろうか?これが私が彼に出会ったときの最初の質問であった。

  彼の答えは謙虚でシンプルかつ含蓄のあるものだった。“私は誠実に最初から始めなければなりません。” 彼はほかの大部分の美術青年達と同じような道を歩いてきた。少年時代に絵を習い始め、幸いにも上海の有名な画家の指導を受けた彼は、めざましい進歩を遂げていき、先輩方から数々の賞賛の言葉を浴びた。時には時流の影響を受けたりもしたが、中国画の形式と材料面での新しい試み、改革の探求を続けた。
  1995年に華東師範大学芸術学科研究生クラスに進み、今後自分の方向性を決めるにあたり、彼は青少年時代の“成功”に対して疑問を抱くようになった。あの“成功”は、幼稚かつ自分の見解を何も持たない、ただ人の尻馬に乗っただけのものにすぎなかった。全く自分自身ではない、と。彼の性格は内向的で物静か、かつあまり感情を表に出さないタイプである。自分の個性を前面に押し出し主張するスタイルは自分には属さないと思ったのだ。まだ基礎が定まらず、自分のスタイルを模索している最中は、“狂草”(自由にくずした草書体)を書くのではなく、まじめに“楷書”を練習するべきである。きちんと丁寧に書かれた楷書は一見何の個性もないように思うが、実は違う。ただ、その個性が内に留まり収まっているだけなのだ。
  一人が好きでもの静かな彼は、物事を観察するのがとても好きで、得意である。大自然の一本の木、草、花の開花と萎み、夕日の満ち欠け、すべてに対して彼は鋭く強烈な感性をもっている。自分が自然の中に溶け込み、“平凡の中の永久”の境地を追い求めたいと彼は思っている。確かに彼の作品を見るといつでも我々は自然の声を聞き、静寂と奥深い意味を感じることができる。これは、浮ついた現代人が決して得ることのできないものである。

  しかしこれだけでは胡炜を表現するのにはとても足りない。芸術に深く携わるにつれ、彼は中国絵画の変遷の経過を探求し始めた。彼は彼が考える最も本質的な、精神に内在するものを追求しようと志を立てた。ある一点、或いは部分から個人の発展の道と身を立てる術を模索することには満足しなかった。もちろん、“工筆重彩”を描く人が少ないことや、芸術市場においての需要の少ない状況に孤独を感じたり落ち込んだりすることもなかった。なぜなら彼はかつて中国絵画の歴史においての主流を占め、そこに内在する“中国芸術の精神”を“工筆画”に感じ、そこに汲めども尽きる事のない創作の源泉と開拓の価値を見たからだった。しかしそれは、我々民族の文化における沢山のすばらしいものと同様、往々にして苦難に遭い、慌しい歴史の流れによって最後には忘れ去られ、捨てられてしまった。
  じつは、逸笔写意(ルールをもたない)であろうと工筆の精密さであろうと、それはただの形式の上での事にすぎず、人格や学問に優れた歴史上の無数の文人画家達の中にも、工筆の傑作は存在する。例えば顾愷之、李思训、阎立本、赵孟頫などがそうであるが、“工筆重彩”はなにも“絵画職人”たちの専売特許ではなく、重要な点は、彼らがかつて我々の深く豊かな文化の伝統と、豊富で強烈な民族の特徴を体現したことにあるのだ。よって胡炜の現在の芸術路線を語るとき、彼個人の嗜好と芸術スタイルの選択に着目するのではなく、私としては彼の民族文化の源に対する思いと、ルーツを辿る意識に着目したいのである。

  二十年前の国家改革開放路線は、全中国人民の思想解放運動をもたらし、“中国画”の領域においては、“中国画は末路の一途をたどっているのか”という論争を引き起こした。二十年の歳月が過ぎ、中国の伝統様式の中国画は相変わらず売れており、当時より更に売れ行きが増しているほどだが、中国画の改革と発展を推進させようと大志を抱いている有志達は、かつて一度も彼らの危機感をやわらげることはなかった。すさまじい勢いで広がる“水墨実験”運動はまさにこのような思想を背景に起こったのである。
  中国画はもろん前に進み変革し続けなければならないが、この種の発展と変革は、西洋の或いは現代主義の理念の軌道に接ぎ木をし、中途半端につなげる事なのであろうか。やはり自身の伝統文化に立ち返り、“中国芸術精神”の根本から新たな探求を始めるべきではないのか。それによりまた別の回答が得られるではないだろうか。比較するに、もちろん“現代”の観点から文章を書くのはずっとやさしい。すべての情報が周辺にあり、骨を折らずにすむ。はるか遠い昔に戻るのは、忘れ去られた隅っこから苦労して探し出し、開拓しなければならず、自然と大変なことが多くなり、道のりも遥か遠くなる。だが胡炜はあえて後者を選んだのだ。

  人類文明史には規律性のある現象が見られる。それは、いかなる文化形式においても(例えば文学芸術のスタイル又は流派)、それらの発展に問題が生じたとき、或いは活気がなくなり衰退の方向へ向かい始めたとき、常に人々は己の源に立ち帰り自らを振り返って反省し、的の誤差を修正し、人々に忘れ去られた片隅にある物を、又生き生きとした原始の感覚を探し始める。この現象はまさに、なぜ歴史上のあらゆる文化の“ルネサンス”も“”昔に戻る“形式によって起こったか、とい問題の原因である。皆が知っている例えばイタリアの”ルネサンス“運動、中国の唐と宋の時代に発生した”古文運動“などがそれである。元の時代に赵孟颓が提唱した”画贵有古意(絵画において“古い昔のスタイル”の中に貴いものがある)という主張は、南宋時代の微風から逃げ、北宋時代を受け継ぎ、ストレートに晋と唐時代を追う当時の絵画界を導いた。更に例えば清末期の王羲のような書法の伝統に対しての書家界の批判と、北魏の石碑文字の研究と提唱等を導いた。

  よって私は胡炜のある種“昔に立ち戻る”行為は大変奥深い意味があると考えている。彼は時代がかった趣のある視覚の図式の中にも、時には西洋芸術の構成要素と膚理効果を採用した、いわゆる“現代言語”を用いたりもするが、このことが彼の芸術的価値の重点ではない。前衛的方式による現代芸術(西洋を含む)が、もし当時の圧制下におけるある種反体制、反時流のヒーロー的行為或いはその類のものであったとしたならば、それが今日では権力のある人に取り入る、或いは盲目的に従うだけの現代ドラマの一コマになり、ひいては新しい体制の既得権益網を形成してしまっている。このような状況の中でも、胡炜は決して時代の波に乗らず、独自の道を切り開き、伝統に立ち返る方法により中国芸術の精神の本質に近づき、さらに自身の発展の道を探していくことを選んだ。これらは彼の先々までに物事を見通す力、広く物事に通じた見識の深さ、自立し束縛されない自分、又甘んじて孤独を受け入れる能力を物語っており、大変得がたい貴重なことなのである。

  彼はまだ年若く、これからも遥か遠い道のりは続く。私はここで彼の今までの芸術における業績についてあれこれと美辞麗句を並べるのではなく、代わりに更なる期待と励ましの気持ちを表したいと思う。西洋の諺に“急がば回れ”というのがある。有名な翻訳家がこの諺を“宁静致远(心静かであればこそ、より遠くに至る)と訳したが、まことに真髄を伝えた美しい訳文だと思う。
私は古代の聖人のこの知慮に満ちた名言を最後に胡炜に対するの賛辞と祝福の言葉とし、筆を擱きたいと思う。

 

                         朱旭初?? 2006年4月翰英阁にて